2007年03月05日

MOH通信16号(2007Spring)

MOH通信16号(2007Spring)「関わるなら、ゼロか100」「自分の家のつもりで関わっていく」高島市朽木の林業家・栗本慶一さんの言葉である。

栗本さんは、昔から建主とのつながりを大切にしながら、消費者に喜ばれる林業を目指してきた。「自分の山の木で建てた家を建主に喜んでもらっている姿を見て、それが自分のエネルギーにつながり、励まされてもきた」と言う。

そんな栗本さんの山から伐り出された木で造られた家、それも柱、梁はもとより、床や壁、障子の桟一本に至るまで使われた家がある。建主が家を建てようと思い立ってから完成まで実に三年三ヶ月、多くの人たちが本気でぶつかった家づくりである。

MOH通信16号(2007Spring)

 

MOH通信16号(2007Spring)建主である今城克啓さんは滋賀県環境森林整備課の職員。2003年の夏、ある木との出会いから今城さんの家づくりがスタートする。それは栗本さんのもとで、間伐や枝打ちの研修をしていたときのこと、栗本さんの山の木が最近問題になっている獣害にあったのである。「熊剥ぎ」だ。八十年を越す立派な杉の木。このまま放置すれば腐ってしまうだけ。栗本さんは伐採を決意した。その木の伐採に立ち会った今城さんはいつしかこの木で家を建てたいと考えるようになった。

私がこの家づくりに関わったのはそれから三ヶ月後、完成のちょうど三年前にさかのぼる。朽木の木で家を建てたい方がおられるから設計が頼めないかと、工務店の社長坂田徳一さんからの依頼だった。
そして2003年10月、今城さんと初めてお会いし、「熊剥ぎ材」の話に始まり栗本さんの山の木で家を建てたいとの想い、柱や梁を見せる真壁構造でリビングには吹抜けを、見上げれば小屋組みが見えるような空間が良いなどと新しい住まいへの夢を伺った。

以前から近くの山の木で家を造りたいと考えていた私は、わくわくしながらその話を聞いていた。
そして一回目のプランを提案し、ほどなく栗本さんと出会うことになった。
「できることなら家に使う木は、近くの山の木で、しかも誰が育ててくださった木なのか分かるような家づくりがしたい」との私たち造り手の想いや栗本さんの林業に対する想い、栗本さんも「そんな家づくりができれば」と、互いの想いをぶつけ合いながら、熱く語り合ったことを今でも鮮明に覚えている。

MOH通信16号(2007Spring)


そして年が明け木材の準備を始めようと思った一月、朽木を重い雪が襲い「雪折れ」する杉の木が多発した。栗本さんの山も例外ではなく、数十年に一度の大きな被害だった。しかしこの「雪折れ」、折れた部分こそ使えないが、それ以外は十分家の木材として使えるのだ。栗本さんは丁寧に伐採を進めていった。設計にあう木材があれば使って欲しいと、連絡を受け、早速山に駆けつけた。

MOH通信16号(2007Spring)土場に積まれた原木を見て驚いた。年輪が詰まっていて、色合いも良くどの木もすばらしいものだった。中には百三十年を越す大木もあった。「なかなかこれだけの木を伐ることは少ないよ」「今城さんはついてるね」と笑って話しながら原木を眺めていた。そんな中、私は一本の原木が目に留まった。「杉の曲がり材」だ。それは根元から大きく曲がっている木で風雪に耐え、成長してきた力強さを感じた。
私はこの曲がり材を小屋梁に使いたい、と提案をした。
栗本さんは曲がり材を使うとは思ってもおられず驚いていた。今までこのような材は売れないから山で捨ててきたという。
建主の今城さんも小屋梁は「松」だと思っておられたようでピンときていなかったようだった。
私は、今回の家づくりは、「全てを杉でつくること」そして「曲がり材を活かす」というのが一つのスピリッツになるのではと、二人に語りかけていた。
 
数日後、今城さんから電話が入った。栗本さんからの伝言だ。
「同じ使っていただくなら、家の全ての木材を用意する」「だから、どんな木があとどのくらい必要か教えて欲しい」・・・そして、「関わるなら、ゼロか100・・・」冒頭の言葉につながっていくのだ。
できる限りこの冬に伐採をし、残りは秋を待って伐採をするという。私はそんな栗本さんの心意気に心を惹かれるように時間を見つけては、選木や伐採、玉伐りと建主とともに山へ足を運んだ。
そして、いつしか栗本さんも設計の打合せに加わっていたのである。設計士も山に入り、林業家も設計図面を見ることで、無駄なく木を活かすアイデアが湧いてくる。山の管理を考え自然に負担をかけないよう四十年ほどの若い木から九十年までの木を択伐し、うまく家の部材へと使い分ける。天然スギも自然の成長をこえない程度に少しいただいた。
一本の木から柱や梁、板などの必要な部材を順に製材をしてゆき、ゆっくり自然に乾くのを待った。
すべての木材が揃ったとき、気がつけば二年の月日が流れていた。


そして、2006年の五月、上棟の日を迎え見事に組み上げられた。
工務店の倉庫に桟積みされた一軒分の木材のなかから一丁一丁吟味し適材適所に使いきる。「何度数えたことだろう」「板の表と裏を何度見たことだろう」と言う大工棟梁の本間公人さんの成せる「技」である。熊剥ぎの木は毎日身近に触れる床となり、あの百三十年の大木は玄関ホールの床や家の各所のカウンター材となり、また階段の壁となっている。

MOH通信16号(2007Spring)


そんな想いは、建具職人にも伝わっていた。玄関にある下駄箱の建具はその象徴ではないだろうか。
工事終盤、建具職人の大崎俊也さんから相談を持ちかけられた。見当をつけておいた材料も残り僅かとなり、どうしようとのことだった。私が「ウーン」と考え込んでいると大崎さんはある木を手に取り私に見せてくれた。なんと私が栗本さんの土場で初めてみた曲がり材のコアである。「この木は玄関の小屋梁に使ってある木でしょう」「これでなんとかできんかなぁ」と。気にもとめなければ捨ててしまうようなところ。大崎さんはこれを使って建具にしようと提案してくれた。私は、この曲がった板をどうやって四角い建具にするのか想像もつかなかった。でも、大崎さんの頭の中では建具のイメージがあったのでしょう。私は「お任せします」と応えた。普段机の前で設計をしている私より、この木を前にして建具を作る職人さんの感性に委ねたほうがいいと直感的に思ったからだ。
出来上がった建具を見て本当に驚いた。今回の家づくりで大切にしたいと思っていたスピリッツが感じ取れる建具が、しかも玄関という同じ空間で実現したのである。

MOH通信16号(2007Spring)


そのような木の使い廻しが、家の中で「繋がり」を生み、「魅力」を出しているのだ。
山が好きで、木が好きな建主。その家づくりへの情熱は並々ならぬものがあり、家づくりに関わった人それぞれがその熱意に応え、時間をかけ、智慧を出し合うことで形となった。

後で聞いた話だが、大工さんが切り落とした材を拾い集めて障子の桟に加工してくれたと言う。それを大崎さんは普通に笑って話してくれた。なんとも頭の下がる想いであった。
私にはこの家づくりを通して多くの気づきや学びがあった。
自然の恵みを享受し家をつくることへの感謝。
ある木をいかに活かすか。
一本の木を使い切るかなど、考えてみれば今回の家づくりは何も特別なことではないのかもしれない。
先人が「普通」にしてきた家づくりの姿ではないだろうか。
そんな貴重な経験を活かし、設計者の独りよがりとしか思えないようなことは慎み、職人さんの感性を大切にできる設計者でいよう。
住む人が安心して暮らせる、快適で住み心地のよい、住み手が心身ともに豊かになる「普通の家」をつくる努力をしていこう。


MOH通信16号(2007Spring)投稿記事より加筆修正



Posted by miyamura at 12:00│Comments(0)アーカイブ
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